「国際分業体制」と聞いてピンとくる方はそう多くないと思います。しかし、これは各国間の繋がりを「生産」と「消費」という観点で強める仕組みであり、現在進行形で国際的な問題でもあります。
本日はそんな「国際分業体制」について説明し、歴史から考えられる今後の課題を読み解いていきます。
国際分業体制とは?
国際分業体制とは世界各国が自国の得意とするものを重点的に生産し、貿易などでより多くの利益を得ることを目的としたものです。
例えば、日本国内では採掘が困難な石油を他国から輸入、逆にその国では生産していないものを輸出することにより、それぞれに利益が生まれるような体制のことを指します。
植民地体制の崩壊により、特に第二次世界大戦前後の世界経済に大きく影響した体制の1つです。
国際分業体制には垂直的国際分業、水平的国際分業の2種類があります。
垂直的国際分業
先進国と開発途上国との間で、工業製品と一次産品との貿易が行われるという形の国際分業。
水平的国際分業
先進国同士の間で、工業製品相互の貿易が行われる形の国際分業。
国際分業体制の歴史・第二次世界大戦前
第二次世界大戦前の分業構造は先進国側が植民地側、いわゆる従属地域を原料食料供給地、市場投資先として組織し、国民経済の膨張としての帝国主義的国民経済を形成するという垂直分業が行われました。
これを別の角度から見ると、先進国間での水平分業は進んではいなかったと考察できます。
さらに1929年のウォール街大暴落から始まる大恐慌が原因で、先進国同士の輸出入を抑制し、国内産業・雇用率の活性化に努めました。すなわち、先進国がそれぞれ所有していた植民地での分業体制がさらに密になる、ブロック経済の確立とも言えるのです。
国際分業体制の歴史・第二次世界大戦後
戦後の世界経済は戦前とはうって変わり、アメリカがGATT・IMF体制を唱えたことにより、貿易を円滑にするための各国間の為替レート、貿易障害を削減する状態になります。
よって自由貿易体制、世界各国が均等に分業体制を整えることが実現することになるのです。現行の自由貿易体制はアメリカの主導の下で形成されましたが、この体制を前提としても各国々が努力をしなければ意味をなしません。
その努力をして経済復興を成し遂げ、さらに経済成長を追求したのが、戦前植民地であった欧州であり、そのあとを追って先進国となったアジアNIES等の国々なのです。
歴史からの考察した国際分業体制の変化
ここまでの歴史から推測するにして、第二次世界大戦前後の国際分業体制で最も変化したのは、垂直分業から自由分業の移り変わりだと私は考えます。
植民地体制が崩壊したことと同時に支配地域という概念も消滅。よって、それまで先進国に連なる植民地内での数か国の間でしか行われていなかった取引が、境を取り払われ全世界の国々との間で行うことができるようになりました。
しかし、一見優れているように見えるこの体制にも、いくつかの問題点が存在するとも考えます。
実際には当初、戦後の貿易の拡大は資本主義国アメリカの主導と社会主義国ソ連の脅威下にあり、欧州諸国は個別にブロック経済を維持する余裕がなく、まず欧州中心に先進国同士で自由貿易を進めざるを得なかったなどの理由から、先進国中心で進行し、発展途上国はあまり拡大しなかったのです。
時間が経つにつれ、それらの発展途上国でも輸出が大半であっても経済成長が可能になった日本やドイツ等のモデル国が20世紀半ばから出現したことにより、段々と経済成長をするようになりました。
国際分業体制がもたらす今後の課題
やはり、発展途上国よりも早く行動することができた先進国のほうが成長することができるのに加え、国内の生産技術面などが上回っているのも事実です。
自国では入手困難な生産物を他の国に依存するせいで国内での生産率に偏りが生まれ、さらにそのことにより、特に発展途上国は先進国に依存し続けています。
このことは私の所感ではありますが、南北問題のような格差が深刻化することはないだろうが、固定化されるのではないかと危惧しています。
さらに産業の単一化による職業の減少は雇用の減少にも繋がり、疲弊産業や失業者の増加の可能性をも考えられるのではないでしょうか?
やはり1つの産業に特化して輸出や成長に頼るのは危険であると私は考えます。この問題も戦前と戦後の国際分業体制の変化、なおかつ植民地体制が崩壊したからこそ生まれるものであるとも思います。
今回は単に歴史上のデータで戦前と戦後の分業体制の変化を考察しましたが、次はさらにリカードなどの専門的な知識を携えてもう一度異なった視点から考察しても面白いかもしれません。