投資 PR

中所得国の罠を克服する条件とは?戦後の東アジア地域を例に解説!

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

経済的成長が著しい新興国が、経済成長の結果、中所得国の仲間入りを果たした後、どのような罠、すなわち懸念点があるのでしょうか?またその罠から脱却するためにはどのような条件があるのでしょうか?

今回の記事では中所得国の罠から抜け出すための三つの条件とその事例について、中所得国の罠を克服した戦後東アジア地域を例にして解説していきます。

中所得国の罠とは?

中所得国の罠は、自国経済が中所得国のレベルで停滞し、先進国(高所得国)入りが中々できない状況のことです。

これは、新興国が低賃金の労働力等を原動力として経済成長し、中所得国の仲間入りを果たした後、自国の人件費の上昇や後発新興国の追い上げ、先進国の先端イノベーション(技術力等)の格差などに遭って競争力を失い、経済成長が停滞する現象を指します。

この中所得国の罠は開発経済学でゆるやかに共有されている概念であり、その端緒は世界銀行が2007年に発表した報告書にあるとされています。

一般的に中所得国とはどのくらいの水準なのか?

一般的に中所得国とは一人当たりの国内総生産(GDP)が1万ドルから2万ドルには中々達しないため3千ドルから1万ドル程度の国を指し、実際に1万ドルに達した後に本状況に陥る国や地域が多いです。

また、歴史を振り返ると、低所得国から中所得国になることができた国は多いですが、一方で高所得国の水準を達成できた国は比較的少ないと言えます。

中所得国の罠を克服する3つの条件

中所得国において、この罠を回避するには、規模の経済を実現すると共に産業の高度化が欠かせません。
そのために必要な技術の獲得や人材の育成、社会の変革(金融システムの整備や腐敗・汚職の根絶等)が進まないのが大きな課題となっています。

前述した世界銀行の報告書では、資本や労働といった生産要素の蓄積を基本とした成長戦略が、資本の限界生産性の低下からその成果が徐々に薄れていくとしています。それらを考慮したうえで、中所得の罠から抜け出すための条件には以下の3つがあげられます。

  1. 生産及び雇用の重点化・高度化
  2. 投資の重要性低下に伴う技術革新の推進
  3. 熟練労働者の教育制度を新たな技術習得から新たな商品やプロセスの創造へのシフト

以上の3点により規模の経済を十分に活用することが重要であるとしています。

またアジア開発銀行の研究では、各国の成長率の具体的な推移を用いて罠に陥った国を特定した上で、こうした国では輸出製品が一次産品や労働集約的なものにとどまり、多様化・高度化していないとしています。こうした「製品の罠」に陥ると、中所得国から抜け出せないと指摘しています。

そんな中、東アジア地域には、中所得国の罠を克服した国がいくつか存在します。韓国や台湾が1990年代後半にかけて、この罠に陥り伸び悩んだが、その後、電機やITなどを核に産業を高度化し、高所得国入りを果たしました。

東アジアにおける戦後経済成長

東アジアにおける戦後経済成長をみれば、まず日本、次にNIESが戦後の経済成長に成功し、その経済成長は「東アジアの奇跡」と称されるように、非常に高い経済成長を実現させてきました。

そして、このような、日本、NIES、中国の順に経済発展するパターンはいわゆる雁行形経済発展といわれるようになりました。

この高い経済成長に大きく寄与したのは、東アジアへの直接投資の増加と貿易の拡大です。このような投資と貿易の拡大は、貿易・投資の自由化など国際経済におけるグローバル化が進んだことが一因と捉えることもできます。しかし、その一方で、EU、NAFTA などに代表されるように地域統合が進んでいることもまた事実です。

東アジア地域での地域主義化

世界経済における地域主義的な流れをみると、1990 年以降 FTAのような地域的な協定は徐々に増加し、とりわけ1995年のWTO発足以降においてはその数は急増しています。

しかし、当初は東アジアについてみれば、前述したような世界経済における一つの傾向、つまり地域主義化については積極的ではありませんでした。

アジアに存在する地域的な枠組みと言えばAFTAなどであり、北東アジアについては、かつては地域主義の空白地帯と言われたように、公式な地域的な取り決めはありませんでした。しかし、最近東アジアにおいてもようやく地域主義の流れに乗り始めており、FTA が設立されるようになりました。

東アジア地域の実体経済面の特徴とディアリズム理論

東アジア地域の実体経済面の特徴は、外国直接投資を始め海外からの潤沢な資本流入が継続しこれが原動力となって輸出関連を中心とした産業集積を生み、地域全体が「世界の工場」と呼ばれる中で着実な発展を遂げてきたことがあげられます。

これらアジアNIESの成長要因の一つは、工業化戦略です。まず、後述する工業化について「ディアリズム理論」について説明していきましょう。

ディアリズム理論とは?

ディアリズムとは経済構造の本質を農業などの低開発部門と先進工業二つの部門の共存状態として捉え、経済発展を先進国部門が大きくなっていく「工業化」の過程であると解釈する考えのことを指します。

工業化は一方で農業部門に対して肥料や農業機械などの、農業生産性の向上に必要不可欠な投資財を供給し、他方で農業部門の過剰労働力を吸収して生産的労働に従事させます。

こうして農業部門では工業部門によって供給される近代的投資財の活用と、過剰労働力の工業部門への移動によって生産性が上昇し、農家の生活水準が向上します。工業部門では農業部門から潤沢な低賃金労働力の供給をうけて利潤の再投資が進み、経済全体の中で工業部門の占める地位が上昇する、つまり工業部門が拡大するというものです。

ディアリズム理論を東アジア地域に当てはめる

これを東アジア地域に当てはめると、1960から70年代東アジアで緑の革命なるものが起き、農業生産が増大しました。一方農村では、省力化がすすんだ為、労働力が有り余るようになりました。この有り余った労働力が都市部に流入し、80年代プラザ合意などで円高になった日本企業が安く、豊富な労働力目当てに進出し、工業化における労働力需要が増加したのです。

短パン小僧

プラザ合意についてはこちらの記事で詳しく説明しています!

工業製品の輸出の拡大が外貨のやりくりを容易にし、国内で供給できない資本財、中間財の輸入を可能にしました。これにより資本形成も増大し、生産能力はさらに増強され、工業製品の輸出が一層拡大する「輸出と投資の好循環」が生み出されたのです。

アジアNIESの工業化戦略

アジアNIESは戦後しばらくの間は、国内産業保護の観点から輸入代替工業化戦略をとっていました。

しかしこれといった資源に恵まれず、過剰な労働力を抱え、かつ国内市場の狭いアジアNIESにおいては、輸入代替工業化の進展に伴い、以下のような問題が浮上したのです。

国内市場は飽和状態に達し、手厚く保護された国内産業の寡占化が進み、産業の国際競争力が急速に低下かつ本来の目的であった貿易収支の改善は一向に進まないという事態を迎えました。

アジアNIESの工業化戦略は、このような経済的な停滞を打破する目的で断行されたのです。

アジアNIESの工業化戦略の具体的な施策(一部)

  • 輸出増進のための為替レートの調整
  • 輸出産業に対する低金利融資
  • 戻し税制度や優遇税制
  • 原材料輸入のための輸入関税の引き下げ

これらの一連の自由化・開放政策です。また、より重要な事実は、それまでの保護政策のなかで培われてきた各種既得権益が、深刻な摩擦を起こすことなく剥奪されていった点でもあります。

ABOUT ME
tanpanlife
1995年爆誕|相場のマーケター💹→webのマーケター💻|某人材系事業会社マーケ担当|日本ディレクション協会所属|個人でomoやらライティングやらのお手伝いも|趣味のブログがそこそこSEO1位取れてしまった系男子📝|歌い手したり動画編集してみたり🎙