先日、2021年3月14日に「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観てきました。本当は公開初日に観に行きたかったのですが、どうしても仕事の関係で行けず…。公開からは少し経ってしまいましたがやっと観に行けました!
私が「新世紀エヴァンゲリオン」に出会ってから約15年。長かった片思いにやっと決着がついたような、すっきりしたような、寂しいような、そんな複雑な気持ちを抱えながら記事を書いています。
今までの知識系のコンテンツではなく、どちらかというとエモーショナルな内容になるので、興味がない方もいるかもしれませんが書かせてください。(笑)
「新世紀エヴァンゲリオン」とは?
カヲルくんのアニメです。
「新世紀エヴァンゲリオン(以下要所でエヴァと表記します。)」とは、テレビ東京系列にて1995年10月4日から1996年3月27日にかけて放送された全26話のテレビアニメ作品です。アニメの26話、「世界の中心でアイを叫んだけもの」は有名な自己啓発セミナーなので、キャリアや生き方に迷った人には必見。
1997年には、TVシリーズ版の結末とは別の結末(?)を描いた劇場版「Air/まごころを、君に」が公開されました。
時は2015年。大災害「セカンドインパクト」が起きた世界を舞台に、14歳の少年少女たちが巨大な汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」を駆り、第3新東京市に襲来する謎の敵「使徒」と戦う姿や、その葛藤を描く。
本作は当時、夕方の時間帯で放送されていましたが、内容的には現代の深夜アニメのような過激な描写が存在したうえ、「主人公の自意識や人間関係」と、「世界の命運」という両極端なスケールの話が連動している斬新なストーリーが物議を醸し、賛否両論の議論を引き起こしました。
その後2006年には、「新世紀エヴァンゲリオン」に新たな設定・ストーリーを加えた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ全4作の制作が発表され、2007年に第1作「序」、2009年に第2作「破」、2012年に第3作「Q」が公開されました。
そして2021年3月8日、第4作目となり最終作品である「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」がついに公開され、アニメ放送当時から数えると約26年ものその長い歴史に幕を閉じたのです。
筆者とエヴァの出会い
私がエヴァと初めて出会ったのは小学校6年生の頃。結構大きな病気を患い、入院することになりました。その時、病院の看護師さんにDVDを1枚借りて観たのが始まりです。
当時小学生だった私には確かに難しい内容やきつい描写もありましたが(特に旧劇場版と呼ばれている作品(笑))、子どもながらに「今まで見たロボットアニメとは明らかに違う」と感じ、どんどんエヴァの魅力に惹かれていきました。
当時はまだサブスクなんてなかった時代。両親にお願いして某ビデオレンタル店でDVDを借りてもらいましたね。
そしてちょうどその頃、前述した「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの第1作目「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 序」が公開され、アニメ・旧劇場版シリーズからタイムラグなく、新劇場版のお披露目を迎えました。そういった意味ではとてもラッキーな時代にエヴァにハマり始めたのかもしれません。(笑)
その後、中学生時代には「破」、高校生時代には「Q」が順に公開されていき、その頃には公開初日に合わせて、アニメ・旧劇場版・総集編・マンガ・新劇場版シリーズといった過去作をすべて見直してから劇場に向かうスケジュールを立ててしまうくらいどっぷりエヴァンゲリオンという作品にハマっていました。
今だから言えますが、高校生時代に公開された「Q」を観たいがために所属していた部活を休んでしまうほど…。キャプテンごめんなさい。(笑)
そして2021年3月8日、前作「Q」の公開からおよそ9年の時を経て、シリーズ4部作の最後の作品「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開されました。今回はどうしても仕事の関係上公開初日に観に行くことはできませんでしたが、待ち望んでいた「エヴァンゲリオン」の結末を観ることができました。
筆者の思う、エヴァの3つの魅力
今回記事を書くにあたり、「自分はエヴァの何に魅力を感じてたのか?」、「なぜ十数年も待つことができたのか?」を改めて振り返ってみます。
これからエヴァを観始める方、観ようと思っている方のお役に立てれば幸いです。
1.謎が多い、多すぎる、謎しかない単語や設定
作品内には「旧約聖書」や「新約聖書」などに関わる様々な単語や、意味が明言されていない言葉が登場します。
「使徒」「人類補完計画」「アダム」「ゼーレ」「ロンギヌスの槍」…そして「エヴァンゲリオン」。もちろんこれだけで終わるはずもなく、ストーリーの中でこれらを含めた謎の言葉が複雑に絡み合い、視聴者に多くのことを考えさせます。
それでは、作中の登場人物のある掛け合いを例として、抜粋してご紹介します。
加持 「いやはや、大変な仕事でしたよ。懸案の第三使徒とエヴァ5号機は予定通り処理しました。原因はあくまで事故。ベタ二アベースでのマルドゥック計画は、これで頓挫します。すべてあなたのシナリオ通りです。で、いつものゼーレ最新資料は先ほど」
冬月 「拝見させてもらった。Mark.06建造の確証は役に立ったよ。」
加持 「結構です。これがお約束の代物です。予備として保管されていたロストナンバー。神と魂を紡ぐ、道しるべですね。」
ゲンドウ 「ああ…。人類補完の扉を開く、ネブカドネザルの鍵だ。」
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破」より
市立第壱中学校
全然わかんないよ。なにが「ああ…。」なんだよ父さん。お前それしか言わないじゃないかよ。
こういった、謎の多い設定が1つ解決したと思ったらまた新たな謎が、解決したと思っていた謎が実は違う展開に進んだりと、視聴者に様々な推測をさせるのがやはりエヴァの魅力、醍醐味の1つでしょう。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」も早速ネットでは、「あれはこのようなことを指していたのではないか?」、「結局あの人はこういうことがしたかったのではないのか?」など、多くの考察記事や動画がアップされています。(私もクライマックスについて、今すぐにでも書いてしまいたいのですが、今回の記事はネタバレ無しなのでそれはまた今度…)
2.あまりにも「深い」登場人物
主人公「碇シンジ」をはじめとするエヴァを彩る登場人物。彼ら一人一人に過去があり、胸に秘める想いがあり、他のアニメ作品とは比較にならない細かい設定が存在します。
登場人物たちが繰り広げるストーリー展開は、これは本当にアニメなのかということを疑問に思ってしまうほどリアルで、ある種泥臭く、回を重ねるたびに深みを増していきます。
そして何よりカヲルくんが尊い。推ししか勝たん。
そんな彼らの行く末が気になる、一体どうなってしまうのか?物語の終着点はどこを選ぶのか?とファンの心を引き付けるのもエヴァの魅力かもしれません。
3.答えはない。視聴者それぞれに送られる物語のメッセージ
エヴァの物語は完結しました。たとえどのような終わり方だとしても「終劇」を迎えたのです。ただ、登場人物の選択から学んだ姿勢、作品を作り上げた制作陣に向けた感情など、視聴者が作品を通して感じたもの、受け取ったものは一人一人異なり、それに正解はなく不正解もないと思います。
「エヴァ」はくり返しの物語です。
2006年9月28日 総監督庵野秀明 所信表明文より抜粋
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
「諦めないものが勝つ」、「愛は大事」、「友情こそ正義」といったような明確なメッセージではなく、「前に進もうとする話」と表現されたエヴァは、観る者全員に多種多様な捉え方をさせます。
それぞれの人々が持つ考え方の器に沿って、まるで液体のように形を変化させるストーリーや結末がエヴァの最大の魅力ではないのかなと個人的には思います。
エヴァンゲリオンを観る。というか観てくれ。頼む
本当にエヴァについてはここまでで紹介した以上の魅力が込められています。
私が本気で書き始めると卒業論文以上の成果物が出来上がります。大学の哲学のレポートにて、ディストピアを題材にエヴァと関連させて約50,000文字のレポートを書いたこともあります。
まだ観ていない方、これから観ようと思った方。U-NEXTならエヴァンゲリオン全シリーズを一挙に観ることが出来ます。
観ていただけるのであれば最悪このリンクからではなくてもいいです。なんでもいいから早く視聴してください。お願いします。一人でも多くにこの面白さを伝えたい。
まとめ&「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を少しだけ
「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の本予告とポスタービジュアルに記されたキャッチコピーはこの一言。確かに映画はこの言葉に文句のつけようがないラストでした。
それでは一体何がこの一言に込められているのでしょうか?ここから先は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観て感じた、あくまで私の個人的な意見をまとめていこうと思います。
私自身にとって、エヴァはとても思い入れの深い作品です。
作品と出会い、アニメという文化を知ることで多くを学びました。
エヴァを知っていることで多くの人と接点を持つことができました。
次回作への胸の高鳴りから日々の原動力をもらっていました。
とても多くのことを与えてもらい、作品以外のこういったものも私にとっては「エヴァ」の一部です。
「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」この言葉には「エヴァ」という作品から得ることが出来た、「これらすべての出会いや考え方などを今度は自分で考え生み出していけよ」、「自分自身の物語を紡いでいけよ」というような、いわば壮絶な親離れのような意味が込められている気がしています。
ただ、エヴァという作品に触れたからこそ手に入れられた着眼点や思いはもちろん、今回のメッセージを受けて今後自分で努力して獲得する考え方や生き方は、これからの人生では大いに役立っていくと思います。
そうやって自立した時、またふとした時にどこかで「これはきっとあのアニメに触れたからこそ持つことができているんだな」と、アニメや映像コンテンツではなくとも、違う形や新鮮な気持ちで「エヴァンゲリオン」に再び出会うことが出来るのではないでしょうか?
だって「さようならは、また会うためのおまじない。」でもありますからね。(笑)